HANAMIGASA

夜になれば 1/4

 心戦組屯所にそびえる大銀杏は、今年も見事な黄金色に色付いていた。
 この壮観に見惚れるのも五度目になろうか。屯所の渡り廊下に佇む山南は、十一月の高い青空に映える黄金に目を細める。
 五年前の山南は、近藤の食客として彼の道場に身を置いていた。現幹部である土方、沖田、そして永倉ともその当時から面識がある。近藤を筆頭に心戦組を立ち上げ、壬生に屯所を構えるまでの時間を彼らと共に過ごした。
 謳い文句は「金さえ払えばどんな奴らも始末する」。生きるために殺し、殺すために生きる。そんな人間が集い、殺しを生業とする組織として心戦組は在る。組の規模が大きくなり活動がひとたび軌道に乗ると、他国からの依頼を請け負うことも徐々に多くなっていった。その背後には、局長の近藤を始め、副長を務める山南、土方の並々ならぬ尽力がある。立ち上げ当初の忙殺の日々は、山南にとってあまり思い出したいものではなかった。そんな山南らの苦労を知ってか知らずか、隊士達は着実に数々の任務を遂行し、成果を上げていったのだった。
 中でも、組長に据えられた三名の活躍は目覚ましいものであった。現在、一番隊には沖田が、二番隊には永倉が、そして三番隊には斎藤が組長として抜擢され、血気盛んな隊士達を束ねている。
 しかし、若年ながらも類稀な実力を発揮している彼らは、任務においては非常に頼もしいのだが、少々山南の頭を悩ます存在でもあった。
 沖田はわけあって近藤に引き取られたと聞いていた。道場にいた頃は親子さながらの微笑ましい関係を築いていた二人だが、今となっては見る影もない。最近の沖田は、度を越した愛情を注ぐ近藤に対し、明らかな嫌厭の情を向けていた。どうやら近藤には美少年趣味があったようで、成長した沖田にメイド服だのセーラー服だのを着てくれとせがみ出しているらしい。沖田が愛想を尽かしてしまうのは無理もない話だった。
 実際山南も、近藤の最近の腑抜けぶりは目に余ると感じていた。沖田に金銭をたかられ、容赦ない三段突きと罵言を浴びてなお喜ぶ顔のなんと情けない。仮にも組織の頂点に立つ者がこの有様。この男を人の上に立つ人間として相応しいなどと思ってしまったかつての自分を呪いたくなった。原因は九分九厘近藤にあるだろうが、幼少期の沖田を垣間見てきた山南としては、彼の変貌ぶりを遺憾に思わざるを得ないのだ。
 斎藤は組が立ち上がって間もない頃に入隊してきた。金使いが相当荒いらしく、金欠に陥っては部下から金を巻きあげているという報告を幾度も受けている。山南はその都度忠告しているし、斎藤自身も土方から鉄拳制裁を喰らっているらしいのだが、こんな物騒な組織に身を置いている人間がすんなりと更生するはずもなかった。
 そんなに土方に構ってもらいたいのかい、と冷やかしの一つでも飛ばしてやろうと思っていたが、そうぬるいことも言っていられなかった。というのも、「てめぇからも何とか言え」だの「指導がなってねぇんだよ」だのととばっちりを受けているのが、他でもない山南だからだ。それも、最も顔も合わせたくない相手からとなればたまったものではない。それゆえ山南は、この件にほとほとうんざりしているのだ。局長はもとより当てにしていない。副長二人でも手に負えないあの狂犬を牽制できるのは、最早永倉くらいではないかと思っている。
 その永倉もまた、愛らしい容姿ゆえに近藤に目をつけられた憐れな隊士の一人だった。しかし永倉は上司に刀を突き立てることもしなければ、斎藤のように部下を強請(ゆす)るなどということもしない。強いて言えば時折飛び出す毒舌が玉に瑕というくらいで、思い返せば山南が永倉のことで頭を悩ませたことはこれといってなかった。それこそ永倉へのとばっちりである。癖の強すぎる幹部格の中に「常識人」と呼べる人物が存在することは、山南にとっては救いのようにも感じられた。
 だから永倉に関しては、どうか今後もそのままでいてくれと望むほかない。否、望まずとも永倉が己に心労をかけてくることはないだろうと、山南は信じていた。

        ***

 山南が今まさに就寝しようとしていたところであった。
 何やら自室に近づいてくる足音を聞き、山南は照明を落とそうと伸ばした手を引っ込めた。部屋の前でぎしり、と床が軋む。
「山南さん、起きてる?」
 次いで耳に入ったのは、聞き馴染んだ中性的な声だった。思わぬ来客に山南は目を見張る。夜遅くに一体何事かと思いながらも、入りたまえ、と入室を促す。からりと障子戸が開けられ、寝間着の永倉がその姿を現した。慌てるでもなく普段と何ら変わらない様子の永倉を見るに、急を要する事態が起きたというわけではないらしい。
 ただ一つだけ山南が気になったのは、なぜか永倉が枕を抱きしめているということだけだった。
「……こんな時間にどうしたんだい」
 なんとなく永倉が今から言い出すであろうことは想像できたが、敢えて核心に触れずに山南は問う。永倉は後ろ手で障子戸を閉めると、立ち尽くす山南を見上げながら愛らしく微笑んだ。
「山南さんと一緒に寝たいなーと思って」
 だめ? と枕をぎゅっと抱きしめて小首を傾げる仕草は、およそ成人男性がするものとは思えない。けれど永倉の場合、少女……もとい少年と言ってもまかり通る容貌と相まって、違和感が全く仕事をしないのだ。
 さてどうしたものか、と山南は暫し逡巡する。
「いやいや、駄目というか何というか……どうしてまた、急にそんなことを」
「だって寒いんだもん」
 間髪入れずに返されてしまい、山南は二の句が継げなかった。確かに、最近の朝晩の冷え込みは身に応えるものがある。しかし、しかしだ。
 ──同衾は流石にまずいのではないか。
 堅苦しく同衾などと表現するが、そこに深い意味が含まれていないということは、山南もよく理解している。だがそもそも相手は永倉だ。男だ。何も、疚しいことに発展する虞(おそれ)などあろうはずもない。
 それでもまずいと思ってしまうのは何故なのか、周囲に切れると称される頭を以てしても、山南は永倉を帰す正当な理由を浮かべられずにいた。副長や組長という肩書きや立場を挙げたところでどうにもならないことは明白だ。尤も、相手が異性であったなら有無を言わさず帰すことができたであろうが、と山南は思う。
 一人葛藤する山南をよそに、永倉が何を今更、と可笑しそうに笑いだした。
「道場にいた頃だって、寒い時はよく一緒に寝てたじゃん」
「ええ? 私が永倉くんと?」 
 山南と永倉が道場にいた頃となれば、五年も前になる。はたして永倉が言っていることが定かであるのか、過去を久しく振り返ることのなかった山南にはすぐには思い出せない。顎に手を当てたまま、おぼろげな記憶の断片を拾い上げては紡いでいく。
「──あ」
 思い出したような気がした。
 記憶の中には、確かに自分の隣で眠る永倉の姿がある。しかしあの頃は一緒に寝ていたというよりも、永倉が勝手に布団に潜り込んできていたのではなかったか、と山南は首を傾げる。けれど生憎なことに山南は昔から体温が低く、逆に子供体温の永倉で暖をとらせてもらっている側だった。決して口にすることはなかったものの、それが存外心地良くて永倉が布団に入っても追い出すことはしなかったのだ。
「……そういえば、そんなこともあったねぇ」
 山南は、ふと口元が緩むのを自覚した。
 近藤から借りていたのは、必要最低限の調度品しかない殺風景な部屋。世辞にも広いとは言えなかった。それでも四季折々の景色が見られる縁側は気に入っていたものだ。
 瞼の裏に次々と浮かぶ情景に、山南は懐かしさが込み上げてくるのを感じた。切羽詰まった日々を過ごしていた山南が、屯所に身を置くようになって初めて感じる郷愁だった。 
 人というのは懐かしいものに弱い。思いがけない郷愁をそそられた山南は、あの頃の記憶をなぞるように永倉を布団に入れてやった。それから二人して、暫し思い出話に興じるのだった。
 久々に至近距離から見る永倉は、あの頃に比べれば些か大人びた顔つきになったように見えたが、小柄さと子供体温は相変わらずだった。それにしても、寒い寒いと言いながらなぜわざわざ体温の低い自分の元を訪れるのだろうかと、あの頃は気にしなかった疑問を山南は抱いた。尋ねてみようかと隣に目を遣るも、永倉は既に寝息を立てている。あどけない顔で眠る永倉の顔を見れば、今は先の疑問など取るに足らないもののように思えた。山南も永倉の体温の恩恵に与って、心地良い眠りに落ちていった。
 触れ合うもうひとつの体温は、山南が暫く覚えることのなかった安堵感をもたらしていた。

        ***

 山南は今朝も、自室から出ていく小さな背を見送った。
 あの夜から既に、二週間ほど経っていた。互いの職務の都合もあり毎晩とはいかないが、気まぐれに永倉がやってくれば寝床の半分を明け渡している。眠りに落ちるまでの僅かな時間、道場で過ごした時を永倉と懐古するのが習慣になっていた。
 昨夜は、近藤に連れられて縁日へ出掛けた夏の日の話になった。自分と土方が年甲斐もなく射的屋で張り合っていたことを掘り返され、山南は気恥ずかしさで居たたまれなくなった。涙まで浮かべて笑う永倉に、あの時は近藤にそそのかされただけだ、なんて必死になって弁明したが、それこそ年甲斐もないと思われたかもしれない。永倉の前では年上としての矜持もへったくれもあったものではない、と自嘲したくなる。この夜のひと時だけは、副長という肩書きも忘れ、山南ケースケという一人の男として在ることを赦されるような気がしていた。

「山南さん、ちょっとだけいいですか」
 朝の会議を終えて今日の持ち場に向かうその途中、斎藤に不意に呼び止められた。
 ところが、斎藤は一向に話を切り出しては来ず、気まずそうな表情を浮かべて唸ってばかりいる。斎藤らしからぬ煮え切らない態度に、何をそんなに言い淀むことがあるのかと山南は眉を顰めて訝しんだ。もしや、ようやくカツアゲの件を反省する気にでもなったのだろうか──そんな都合の良い憶測が山南の頭を巡ったその時、覚悟を決めたように斎藤が口を開いた。
「し……シンパチと、そういう仲だったんですか」
「──は?」
 我ながら間の抜けた声を出してしまったものだと山南は思った。
 そういう仲とはなんだ。この男は一体何を言っている。期待を裏切られ、とんだ爆弾発言を食らった山南が呆気に取られている中、斎藤はまくし立てるように続ける。
「今朝、見たんですよ。シンパチが枕持って山南さんの部屋の方から出てきたの。出てきたシンパチは寝間着のままだったってことは、一晩中一緒にいたってことじゃないですか。そこから導き出される結論なんて、一つしかないでしょう」
 計上すれば一晩なんてものじゃないんだけれどねぇ、と心の中で呟いて、目の前の男を見遣る。かち合った翡翠の瞳は、動揺を隠しきれずに揺れていた。つまるところ斎藤は、親友とその上司が疚しい関係に発展してしまったのではないかと疑っているらしい。若さゆえであろうか、斎藤のその豊かな想像力に、山南は甚だ感心させられた。
 斎藤の言う通り、永倉と一晩中一緒にいたという事実に相違はない。しかし何を疑われようが、あの部屋で疚しいことなど一切行われていないというのも、まごうことなき事実である。一つの布団の中で寒さを紛らわし、過去を語らい、そのまま眠る。本当にただそれだけなのだ。なんなら永倉という証人もいる。だからか山南は自然と落ち着いていた。
「君が入隊してくる以前、私と永倉くんが局長の道場で世話になっていたのは知っているだろう」
「えッ、まさかその頃から? さすがにそれは犯罪ですよ山南さん」
「こらこら人のことを勝手に犯罪者扱いするのはやめたまえ」
 斎藤に引いたような顔をされたが、引きたいのは山南の方だった。一体この男の中ではどんな御法度な光景が繰り広げられているというのか。それを想像することさえも憚られる。斎藤の若さ溢れる想像力に半ば呆れつつも、山南は潔白の証明を続ける。
「妙な誤解をさせてしまったことは詫びるよ。確かに最近の永倉くんは私の部屋で寝ているけれど、それは道場時代の名残に過ぎない」
「というと?」
「あの頃は寒くなると、永倉くんがよく私の布団に潜り込んできていたんだよ。今だって純粋に隣で寝ているだけだ。それ以外には断じて何もないから安心したまえ」
「あー……確かにシンパチならやりそうっすね」
 暫く唸っていたが、ついには納得した様子で斎藤が数回頷いた。それでいい。朝から無駄な労力を使ってしまった気がする。山南は小さく溜息をついた。
 だが全く身に覚えのない容疑が晴れて万事解決、というわけにもいかなかった。ここまでの斎藤の一連の反応に、山南はどこか違和感を覚えていた。
 一見、アンバランスな組み合わせだが、永倉と斎藤が親しい間柄──斎藤がすっかり手懐けられているようにも見える──なのは組では周知の事実である。年齢も近く、設けられた居室も隣同士。そんな斎藤に永倉との関係を疑われたのは、あまりにも意外だった。人懐っこい永倉の事だ。あれだけ親しい斎藤相手なら自分と同じようなことをしていてもおかしくないと、山南は踏んでいたのだ。
 しかし斎藤がこうしてあられもない疑いを掛けてきたということは、その可能性はきわめて低いということになる。推測通り斎藤が自分と同じ状況にあるならば、永倉の一連の行動は把握しているはずだ。枕を抱えた永倉が、寝間着姿で他人の部屋から出てきたところで驚くことはないだろう。
「……永倉くんは、君のところにも来ているんじゃないのかい?」
 浮上した疑問をぶつけると、斎藤はまさか、と笑って首を横に振った。
「シンパチが夜、俺のとこにぃ? そんなこと一回もないですよ」
 ふむ、と唸る。親友である斎藤の元にすら訪ねて行かないとすれば、永倉が夜に訪れるのは、現在もなお自分の元だけなのではないか。そんな考えがよぎった時、山南ははっとした。
 ──それが分かったところで、一体何になる。
 山南は努めて冷静に自問した。永倉が自分の元へやってくる理由など、「寒いから」という実に単純明快なものでしかない。ならば永倉がわざわざ体温が低い自分を選ぶ理由は、一体どうやって説明できるというのか。以前は然程気に留めていなかったことが、思いがけず頭に引っ掛かり始めた。
「それにしても、シンパチがそこまで山南さんに懐いてるなんて初耳っすよ。昔の話、いつか聞かせてください」
 ヘンな勘違いしてすみませんでした、とえらく素直に非を認め、斎藤はその場を後にした。それくらいの素直さで日頃の行いも改めてくれれば良いのだが、と思いながら、山南はひらひらと揺れる真紅の鉢巻きが遠ざかるのを、暫くぼんやりと見つめていた。

 先の斎藤との会話を反芻しながら執務室へと足を向ける。反芻すればするほどに、永倉が自分に向ける視線が、他者に向けるそれとは別種なように思えてならなかった。執務室の椅子に腰かけるなり、山南は思案に耽る。
「懐いてる、ねぇ……」
 閑散とした室内でうわごとのように呟く。以前から永倉を特別気にかけていたわけでもないし、懐かれる切欠になるような出来事があったわけでもない。山南はそう記憶しているが、永倉とは現在に至るまで良好な関係であり、共にした年月もそれなりに長い。それを思えば、自分が人より懐かれていると捉えても不思議ではないのかもしれない。山南自身も、そう表現するのが最も腑に落ちるように思えた。悪い気は全くと言っていいほどしない。ただ、珍しい人間もいるものだとは思った。
 山南は普段の職務においては、商談をまとめたり任務の作戦を練る役に回ることが多い。部隊を指揮することもあれば、当然自身が剣を握ることもある。さらには技術開発にも従事するなど、その職務内容は多岐にわたっている。近藤が自分を欲しがり副長という立場に据え置いているのも、己の多才さが評価されてのことであると山南は自負している。総合的なスキルでいえば、恐らく誰にも引けを取らないだろう。
 ただ、人を惹きつける才だけは、近藤には遥かに及ばないことも自覚していた。あれはまさに天賦の才としか形容できまいが、自分が持ち得ないその才に山南は羨望の眼差しすら向けていた。己の立場的な要因なのか性格的な要因なのかは知ったことではないが、特に平隊士からはおおかた近寄りがたい存在として見られているのだろう、と感じることは珍しいことではない。副長としての威厳を保ちたい反面、畏まられ過ぎるのはどこか疎ましくさえあった。
 そんな自分と好んで一緒にいたがるのだから、永倉も相当な物好きだと山南はしみじみ思う。十近く離れた歳のこともどこ吹く風といった態(てい)で、永倉はいつだって素で接してきた。それは決して不快なものではなく、どこか心地良さすらも感じさせるものだった。永倉が背後から抱きついてくるのも、肩越しに顔を覗かせるのも、今となってはすっかり日常の一部として溶け込んでいる。出会ったばかりの頃は距離感の近さに戸惑ったものだ、と追懐すれば意図せず口元が緩んだ。
 やはり斎藤の言う通り、自分は特別人懐っこい永倉に特に懐かれているに過ぎないのだろう。結論に至ったところで、山南は目の前に積み上げられた書類にようやく手を伸ばした。